『お仏壇の歴史』
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◎ 仏壇のルーツ |
仏壇というものは、そこに仏様(本尊)と先祖の位牌を安置して、祈りを捧げるためのものです。その意味で家庭の中のお寺といってもいいでしょう。仏壇とお寺はまったく同じ役割を持っているのです。
個人の家に仏壇を置くことで、日々、仏様へのお参りを行い、より信仰を深めていくというのが仏壇の目的です。
それでは仏壇というものは、いつごろから日本人の家に置かれるようになったのでしょうか。
仏壇に関することがらが初めて歴史に登場するのは、仏教が日本に伝来してから百年ほどたった飛鳥時代のことです。
天武天皇が「諸国家ごとに、仏舎を作りて、すなわち仏像及び経を置きて、礼拝供養せよ」といったことが『日本書記』に記されています。天皇自らが、諸国家にそれぞれの仏壇を置いて、仏様を礼拝供養することをすすめたわけです。天武天皇一四年、西暦六八五年のことです。
つまりこの時代には既に、仏壇というものがあったわけです。
現在、残されている最古の仏壇もこの時代のものです。奈良の法隆寺には、玉虫厨子と呼ばれる宝物がありますが、これが現代の仏壇のルーツであるといえるでしょう。
厨子というのは、大切なものを安置する入れ物を意味します。玉虫の羽による美しい装飾がなされているため玉虫厨子と呼ばれます。この玉虫厨子には、黒漆や飾り金具による装飾がなされており、既に現代の金仏壇と共通する部分も見ることができます。
飛鳥時代というのは、日本において、仏教が初めて表舞台にでてきた時代です。法隆寺や飛鳥寺などの壮麗な寺院が多く建造されたのもこの頃です。聖徳太子は当時、積極的に仏教を広めようと努力した人物のひとりです。太子が仏教を広めようとして「篤く三宝(仏・法・僧)を敬え」といったことはあまりにも有名です。
ただ、この時代の仏教というものは、貴族階級だけのものであり、一般の庶民には関わりのないものでした。当然仏壇も、庶民にとっては全く縁のないものだったのです。
庶民が各家に仏門を設けたり、仏壇を置くようになったのは、江戸時代中期頃と見られています。 |
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